わたしが『看護師』になった理由なき理由

皆さん『看護師になろう』と思った理由やきっかけがありますよね(*´ω`*)
理由は人それぞれですが・・・

今回は『私が看護師を目指した理由』についてのお話☆

母親が准看護師だった

気づいたら私の近くに『病院の存在』があった

私はどうやら病院に隣接した商店の孫娘として誕生した。
昔の病院には今ほどちゃんとした売店は存在せず、最低限の必要なモノしか置いてなかったらしい。

そのため、病院のすぐ横で『○○商店』として今の病院売店のような店を営んでいたようだ。

でも、生後1歳のときに店をたたみ、別のところに引っ越した。
それが、今の私の実家である。

私は幼少期から『気管支喘息で入退院を繰り返していた
生まれた場所が病院のすぐそばなら、幼少期過ごした場所は病院のベッド…ということになる。

だから、『病院』という存在がめずらしい場所という感覚はなかった。
むしろ、たまに過ごす療養場所であり、お母さんの職場という認識…

そう、私のお母さんは准看護師だった。

母を尊敬している

お母さんはいつも笑っている人…
もちろん、怒られたこともあったけど、あまり記憶に残っていない。

どちらかというと笑っている人…

親戚の人、近所の人、職場の人・・・みんなお母さんのことを良く言う。
お父さんまで『あんないい人はいない』となぜか自慢げ(;・∀・)

あっ、お母さん死んでいませんよ。
まるで故人を偲ぶような感じになったかもしれませんが、健在でございますm(_ _)m

私が幼少期に喘息で入院しているときも、仕事の合間や就業後に顔を出してくれる。
自宅に帰る前に『夕飯作って、家のことしたら戻ってくるから。消灯すぎたら、ちゃんと寝なさいよ』と言って行っちゃうんだけど、病院のベッドの中でお母さんがちゃんと病院に戻ってきてくれて、傍で寝てくれるのを確認しないとやっぱり眠りが浅くて何度も起きては介護用ベッドを薄目を開けてチェックしたことを覚えている。

自宅にはお父さんのお母さん、つまり私のおばあちゃんと一緒に住んでいたけど、身体が弱い人だったから家事をしていた記憶はあまりない。

お母さんは、看護師しながら家事も姑&子供の世話もしていた。
昔はそれが当たり前だったのよ』というけど、私がお母さんの時代に生きていても同じようにできる自信はない…自信もって言える、「私は無理だ」!

看護師をしていなくても私はお母さんを尊敬すると思うが、たまたま?お母さんは『看護師』だった…
私の幼少期は、繰り返す入退院と母が看護師ということで『医療、病院』が特別な存在ではなかった。

看護師になるものだと幼少期から思っていた

父は賛成。母は反対。

中学生になる頃から気管支喘息で入院することがなくなった。
中学では部活一色の生活だった。

私は『看護婦さんになる』のが当然かのように思っていたので、高校受験に今となってはめずらしい「看護学科」がある高校に進学を希望した。

どうしたらいち早く看護婦さんになれるのか…
それには、高校卒業時に准看護師の資格を取って、その後2年専門学校に行って、20歳で正看護師になるのが最短だと知り、そのように進学したいと思った。

夕食の時、看護婦さんになりたいこと、高校は市内の県立高校「看護学科」に行きたいことを両親に伝えた。

お父さんは『お前がなりたいなら、頑張りなさい』と言った。

でもお母さんは『高校は普通科に行った方がいい』と・・・

あれ?
お母さんにこそ、賛成されると思っていたからビックリ(。´・ω・)?

お母さんの思い

お母さんの時代は正看護師を取る人は少なく、准看護師の資格を取ったら即働く人が大半だったらしい。

お母さんも大半から逸れることなく准看護師取得後、すぐに働いた。

私はお母さんから仕事の愚痴を聞いたことがない
やりがいがあって、楽しいのかなって勝手に思い込んでいた。

お母さんが『看護婦さんになりたいなら、正看護婦になりなさい。あと、「保健婦」の免許も取るなら、看護科に行ってもいいよ』と進学に対して条件を出してきた。

私は当初、「保健師」がどんなものか知らないまま、看護婦さんになれるならと
『わかった!保健婦さんも取るから、看護科行っていい?」とお母さんの条件を簡単に受け入れ看護科進学を目指した。

無事に高校は「看護科」に進学。
卒業の年に准看護師の試験に合格し、「准看護師」取得。

私は高校卒業後、四大の看護学科に進学した。

あれ?どうして四大?じゃあ、高校普通科でよかったじゃん…

そう、私の計画では、いち早く看護師になるために、准看護師取得後、専門学校か短大2年行って、「正看護師」を取得予定だった。

が、お母さんとの約束『保健師』を取得するためには、正看護師取得後にまた受験して『保健師学校』に行かないといけないらしい・・・
しかも、当時「保健師学校の入試合格率…6倍前後」と言われていた。

知らなかった・・・
この事実を知ったのが、高校3年生。

高校の先生に相談したところ、看護師と保健師の両方を取得できるカリキュラムのある四大を勧められた。。

え?( ゚Д゚)ハァ?

四大に行くための勉強してないし、看護科は普通科と違って英語も『英Ⅰ』のみ、数学だって『数Ⅰ』のみで一般科目の授業が少なく、その分『医学・看護・実習』に時間を費やしてきた。

無理じゃんねぇ…(;一_一)

でも、20歳で再度保健師学校受験するのがイヤ(※合格倍率6倍じゃあ、落ちる可能性大だし…)だったので、四大受験に挑戦することに…

まぁ、一般試験では100%落ちる自信があったけど、ラッキーなことになんとか『推薦受験』で合格できたんですよね(^▽^;)

無事に大学を卒業し、めでたく「正看護師」「保健師」の国試に合格。

晴れて看護師になった私にお母さんが教えてくれた。

看護婦さんの仕事は正直たいへん。夜勤だって辛いし、残業も多い。
日勤が終わったのが夜10時で、少しの休憩を取ったまま夜勤に入ることだってあった。薬など間違えないように神経使うし、交通事故で頭半分ないような人が救急車で来ることだってある。

そんな決して楽ではない仕事を中学生の時点で決めなくていいと思ったの。高校は普通科に行って、それでも看護婦さんになりたいなら、四大に行けばいいとお母さんは思っていた。

でも、あんたが看護婦さんになりたいって言うから、保健婦の資格を取ることを条件にしたの。保健婦さんなら夜勤がないし、市役所などで働けば定時で帰れる可能性が高いから、将来あんたが結婚して子供でも出来た時に続けやすいと思ったの。仕事の選択の幅は広いほうが有利だしね。

知らなかった…
私は幼少期から将来は『看護婦さんになるもんだ』と思って生きていたから、単純にそう思っていたから、看護婦さんになった先の将来まで考えていなかった

尊敬している母が看護師を続ける理由が知りたかった

私は漠然と『看護婦さんになるもんだ』と思っていたから、どうして看護師を目指したのかという質問にいつも困った。

大学受験のときの面接でも、この質問はされた
私は素直に『看護師を目指したことに理由なんてありません。幼いころから私は将来看護婦さんになるもんだと思って生きてきただけなので。幼少期の繰り返した入退院や母が准看護師であることが関与しているのかもしれませんが、コレといった明確な理由はないんです。ただ、母(※当時48歳)が今でも続けている看護師という仕事にどんな魅力があるのか知りたいとは思いました』と答えました。

そんなお母さんも現在77歳。75歳まで准看護師として働いてました。

もちろん最後に勤めていたところは、若い時に勤めていたような大きい病院ではなく、市立病院時代一緒に働いていた先生が開業するから手伝ってほしいと誘われた市内の小さな医院。

最後の方は週に2.3回午前中だけパートをしていたようです。

小さな医院なので、看護師さん5.6人程度で回していたんだと思います。朝、お子さんに熱が出たとか、急に用事ができたと電話が入れば、『今日、お母さん午前中急に仕事になったから』と帰省中の私に『あと、洗い物と洗濯物お願いね』と言って、仕事に行ってました。

大学生ながらも、准看護師の資格はあるわけなので、朝、お母さんの職場の看護師さんから出勤できなくなったと連絡が入れば、『大丈夫、大丈夫、今、娘が夏休みで帰省しているから、今日明日とこの子を(仕事に)出すからww』となることもΣ(゚Д゚)

70歳が過ぎ、さすがに仕事を辞めようかと思ったようですが、先生からも「家にいたってやることないんだから、このまま手伝っててよ」と、ズルズルと働き続けた結果、結局その先生の閉業まで一緒に働き続けました。

お母さんは家事も仕事もいつもちゃんとする人。
『あぁ~、疲れた』と言いながら、いつも笑っている人。
酒を飲みながら、座ったら動かないお父さんに『お母さん、アレ』と言われて、『あぁ、ハイハイ』と席を立ち、しょう油を台所に取りに行く人。アレってしょう油なんだ(ー_ー;)

お母さんには、看護師としても、妻としても、娘としても、何ひとつ敵わない

そしてわかりましたよ…
お母さんが長年看護師をしていた理由が(*´ω`*)

うちのお母さん、きっと看護師じゃなくても、どんな仕事をしていたとしても、働き続けていたと思います。きっと、いつも忙しく、慌ただしく、止まることを知らずに、笑顔で。

うちのお母さん、『回遊魚』だったんです。( ̄▽ ̄;)ナイショですよ
止まったら死んでしまう『回遊魚』…

最後に…

私が看護科に進学したいと言ったとき、すぐに賛成しなかったお母さん。

私には子供がいません。
でも、もし私の子供が看護師になりたいと言ったら、私もお母さんのように賛成しないと思います。

いろんな考えがあると思いますが、こんなに過酷で寝る間も惜しんで、真夜中に出勤したり、明け方に帰宅したり…決して楽な仕事ではないですもん(-_-;)

そうそう、最近お母さんが体調を崩すことが多く、実家を何度か往復し介護?してきたんですが、
あんたが看護婦さんでよかった。やっぱり、安心する。お父さんがあんた産んどいてよかったなぁって言うから、お腹痛めて産んだのは私だけどねって言っといたww
ですって・・・まぁ、全快したのでいいんですが( ̄▽ ̄;)ナースになること賛成してなかったよね?

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